阿部りんたろう
1990年生まれの33歳、福岡県出身。東京の私立大学を卒業し、東証プライム上場の広告代理店で働くもうつ病を発症し、ITエンジニアに転職。
手取り13万4000円の派遣エンジニアとしてエンジニアとしてのキャリアをスタートさせ、28歳での転職を機に、年収1,000万円を超える。
「会社選び1つで人生は変わる。半径2m以内の人全員が、自分なりの幸せを掴み取るためのサポートをしたい」をモットーに、本業の傍らエンジニアのキャリアをサポートする情報発信を行なっている。
あらためまして、阿部と申します。
1990年生まれ・ 福岡出身の33歳で、高校教師の父と母のもとに生まれました。
趣味は旅行で、最近は月1くらいで奥さんと温泉地に行ってます。
あと最近は資産運用もかねて、年に1回、自分の誕生日に時計を買っています。
これは100万円くらいのロレックスですが、ブルーの文字盤がカッコよすぎて衝動買いしちゃいました。。
仕事の方は、Web系のエンジニアとして都内のIT企業で働いていて、出勤するのは週に3回ほどです。
エンジニアとしてのキャリアは26歳からで、現在はコーポレートサイトのデザイン・コーディングをやったり、最近ではUI/UXデザインの案件も扱ったりしてます。
あとはわりと時間があるので副業でYoutubeもはじめてみたり。
飼ってる犬の動画を投稿してるだけの半分趣味みたいな動画ですが、毎月新卒の給料分くらいの広告収入は入ってきてるような感じですね。
とはいえ、元々は新卒で入った広告代理店では土日問わず1日16時間ほど働き、夜中に近くのコンビニで何が入ってるかわからない50円の菓子パンを買って、食べて、寝るだけという生活をしていました。
広告代理店を辞めたあとにエンジニアになったのも、「人と話したくなかった」っていう理由だけです。
そして26歳の時に福岡のあるエンジニア派遣会社で客先常駐で仕事をしていましたが、そこでも
- 会社の業績が悪すぎて、ボーナスが1円も出ず年収200万弱
- お金がなさすぎて家が借りれず、会社の小さな支店に寝泊まり
- 彼女も友達もいなくて、Youtubeを見てスマホゲームするだけで1日が終わる
といった状況。
それでも心のどこかで諦めたくなくて行動していたら、転職を機に年収が一気に2倍以上になり、何の誇張もなく、人生が激変しました。
- スーパーでものを買うときに、値段を見なくなる
- 財布を心配をすることなく、後輩や会社のインターン生にご飯を奢れる
- 旅行に行くとカプセルホテルやドミトリーではなく、小綺麗な旅館やホテルに泊まれる
- 週一で家事代行を頼めて、常にきれいな家で生活できる
これらは些細なことかもしれませんが、何よりも自分自身に心の底から自信が持てるようになりました。
この記事を読んでいるあなたも、心のどこかで
「どうせ俺はこんなもんだから…」
「今でもなんとか生きていけてるし…」
「転職で年収上げるとか実際無理でしょ…」
と思っているかもしれません。
しかし、たった一つの出会いが人生が変えることもあります。
これまでを振り返って大切だったこと・重要だったことに加え、反面教師にして欲しい、ちょっと恥ずかしい失敗談をギュッと凝縮してこの記事で紹介していきます。
突然ですが、あなたにとっての「幸せ」ってなんですか?
「幸せ」と言っても、人によってイメージは様々だと思いますが、私は「幸せ」を下記の3つに分けて捉えています。
この3つが満たされた状態って、幸せだと思いませんか?
大好きな家族や恋人、友達と会いたい時に会いに行ける。お金の心配をせず、自分のやりたいことに熱中できる。
「そんなの自分には無理だよ」
「キレイゴト言いやがって」
って思いますよね。
ぼくは転職活動を通して、上記をすべて叶えられる素敵な会社に巡り合えました。
こんな話をすると、「優秀だったからじゃないの?」と思われるかもしれません。
でも、今思い出しても心がギュッと締め付けられるくらい、典型的な使えない社員だったんです。
ぼくのファーストキャリアは、広告代理店からはじまりました。
新規の広告媒体の開拓してくる外回り営業の仕事でしたが、ノルマを達成できた月は無く、毎日のように上司から机を蹴られたり、罵詈雑言を浴びせられていました。
9時〜20時まで外回りをし、会社に戻っては上司に詰められ、日付が変わるまで次に当たる顧客リストの作成をする日々。
週の半分くらいは自腹でカプセルホテルに泊まって、給料がマイナスになった月も少なくありませんでした。
帰りの電車の中で吊り革を握って立っているときに、急に吐き気に襲われてそのまま気絶し、救急車に運ばれたことも2回ありました。
原因は寝不足とストレスによる急性てんかん発作でした。
今思えば洗脳されていたことは間違いないですが、当時は「私よりも苦しい思いをしている人は世の中にたくさんいるはずだ」と自分に言い聞かせて、精神だけで身体を動かしている感覚でした。
そして入社して一年、はじめて昇進の機会が。
「毎日これだけがんばってるんだから、報われるはず」と期待していましたが、
同期は全員一律で昇格し、私だけ昇進することができませんでした。
同期には「いや、なんで俺だけ新入社員と一緒やねん!笑」と言って誤魔化していましたが、この時ばかりは世界中のすべての人が敵に見えました。
つらくて、情けなくて、惨めで、外回りの営業をしながら、無意識に空の写真を撮りまくっていました。
それからさらに半年ほど経った、ある日のことです。
昼休みに1人でコンビニ弁当を食べているときに、異変に気がつきました。
大好きな焼きサバを口に入れたときに、まったく味がしないんです。
最初は「鼻が詰まってるからかな?」と思いましたが、味だけでなく匂いもまったくしなかったので、「これはヤバい」と思って最寄り駅近くの内科に駆け込みました。
診断結果は、うつ病。
ストレスで十二指腸潰瘍も併発していたらしく、
ドクターストップで1ヶ月ほど休職することに。
そのときは「心の病気にかかっている」という自覚はほぼありませんでしたが、日曜日の夜は一睡もできなかったり、無意識に夜中に外を出歩いてたりしてたので、「あ、これがうつか」と妙に冷静だったことを覚えてます。
その後、広告代理店を逃げるように退職し、第二新卒としてIT企業に転職をすることになりました。
うつ病で人と話すことが億劫に感じていた僕は、
「エンジニアなら人と話さなくて良さそうだな」
という理由だけで、適当にネットで調べて出てきた派遣会社に連絡をし、未経験のエンジニアとして客先常駐で働くことに。
主にWeb制作の業務をしていましたが、社内外問わずコミュニケーションはチャットがメインだったので、まだうつの症状があった僕でもなんとか働けていました。
職場の人との関係も良好でしたが、1つだけ不満がありました。
それは、圧倒的に給料が低いということです。
業界未経験だったこともあり、給料は手取りで13万4千円。いくら田舎で物価が安いとはいえ、給料は家賃と食費でほぼ消えてしまいます。
貯金なんて夢のまた夢で、口座の残高は常に20万円を切っていました。
親友の結婚式のご祝儀が払えず、参加を断ったときは、情けなさと恥ずかしさで涙が出そうでした。
「このままだと、大切な人の幸せも祝えない。」
「この先何もせず、後悔し続ける人生は嫌だ」
エンジニアとしてのキャリアを諦めてかけていた僕の心に、小さな火が灯った感覚がありました。
自分でも稼げる方法がないか?といろいろな副業を模索していたとき、ツイッターであるフリーランスエンジニア(Hさん)を見つけました。
プロフィールを見ると、Hさんはどうやらフリーランスのインフラエンジニアとして月収70万円ほど稼いでいるとのこと。
「嘘つけ!どうせ適当なこと言って商品売りつける情報商材屋だろ!!」
ぼくは反射的にそう思いましたが、発信内容を見てみるとどうやら本当に現役にエンジニアのようでした。
そして何よりも僕の目をひいたのは、Hさんが自分の給与明細を投稿していたことです。
年齢が近いこともあり、いても立ってもいられずDMを送り、後日お茶をすることに。
Hさんに会う当日、まだ半信半疑だった僕は少し緊張しながらカフェの奥の席で待っていましたが、予想に関してHさんは爽やかな好青年という感じでした。
地元が近いことがあってすぐに意気投合し、Hさんはこんなことを言いました。
「うちの会社めっちゃホワイトですよ!
仕事は出社しても在宅でもどっちでもOKだし、副業も推奨されてるから、僕は趣味でスパイスカレー作って通販で売ってます(笑)」
心の底から衝撃でした。そんな世界があるのか・・・!と。
聞けば、ある派遣会社を使ってホワイト企業に勤務し、年収も380万円⇨830万円になったとのことでした。
「派遣会社変えるだけでこんなに収入上がるなら、副業とかしなくていいやん..!」
そのエンジニア派遣会社をHさんから教えてもらい、僕はその日のうちに問い合わせをしてみました。
後日、某派遣会社に面談に行くことになりました。
オフィスはある商店街の一角。こじんまりとしたオシャレなオフィスです。
そんなぼくの気持ちを察してか、営業の方が「狭くてすいません!あんまりお金ないので..!」と冗談半分に仰っていました。
そして営業の方とこれまでのキャリアや今後について話をしながら求人を見ることに。
それはもう、驚きの連続です。
「あれ?これ今の仕事と変わらなくね??月50万も貰えんの???」
「え、この仕事ってこんなに単価高いの!!!」
営業マンの方は「阿部さんのスキルだと、これぐらいは普通ですね。というか今の会社でマージン抜かれすぎです…」と冷静に言ってましたが、一方ぼくの方は、見たことないような金額に心臓のバクバクが止まりませんでした。
たくさんの好条件の求人を見ながら、良さそうな求人をいくつかピックアップしてその日は終了。
数日後に営業の方から連絡がきて月収50万円(年収換算600万円)で、あれよあれよと都内のIT企業ではたらくことが決定。正式の派遣会社への入社が決まりました。
まさか1ヶ月弱で現場が決まると思っていなかったので、急いで引っ越しの準備をし、いざ東京へ。
最初は「マジで50万振り込まれんの…???」と半信半疑でしたが、給料日に社会保険料などを引いた40万円弱が振り込まれていることを確認。
築40年の1Kで「マジかぁ!!!!」と、思わず叫びました。
東京で働くようになって、少しずつ貯金もできるようになってきました。
最初は職場に慣れるのに必死でしたが、仕事に余裕ができてくると、一年前に親友の結婚式に行けなかったことをふと思い出しました。
僕はすぐに飛行機を手配し、福岡へ。
「遅れてごめん!結婚おめでとう!」と現金10万円と花束を渡せた時、彼は「今頃かい!」と笑ってましたが、彼の奥さんから「ほんとに喜んでたよ。ありがとう」とラインをもらった時は涙が止まりませんでした。
この時ぼくは、「お金に縛られないためにはお金を稼ぐしかない」と確信しました。
お金はすべてじゃないけど、この3つの幸せの根底には
「自分が使いたいタイミングで不自由なく使えるだけのお金があること」
があります。
お金があれば、 好きな時に好きな人と出会える
お金があれば、 健康のための投資もできる
そしてお金があれば、 お金に縛られない生き方ができる
使いきれないほどのお金を稼ぐ必要はありませんが、少しの行動で年収を上げ、人生の選択肢が広がるとしたら、やってみる価値はありそうじゃないですか?
ちなみにぼくの方は今も同じ現場で働いてますが、派遣会社のとある制度により、職務内容はほぼ変わらずに年収は750万円になりました。
正直「こんなにもらっちゃっていいの?」と今でも思ってますが、会社の方が「阿部さんが正当に評価されてる証拠なので、自信持ってください!」と言ってくれて、本当の良い職場に出会えたなぁとしみじみ思います。
そして先日、常駐先で出会った女性と入籍をし、結婚式も挙げられました。
情けない話ですが、年収200万円台で自信のないぼくだったら、絶対に結婚なんてできなかったと思います。
人生を変えるきっかけをくれたHさん、派遣会社の方々、常駐先のクライアント様には感謝してもしきれません。
ぼくがお世話になっている派遣会社は、採用の8割が紹介で成り立っています。
つまり、多くの派遣会社が多額の資金を投入している採用活動にお金をかけていないからこそ、エンジニアに多くの給料を支払えるという訳ですね。
ほんとはこの記事を読んでいる方全員に教えたいくらいなのですが、人と人とのつながりや縁を大事にしている会社である以上、不特定多数の方が見るであろうこの記事に載せるわけにはいきません。
そこで、ぼくのラインに登録してくれた方だけに、こっそり教えることにしました。
人生を変えてくれた派遣会社の皆さんへの恩返しと、ぼくみたいに搾取され続けている人を見てられないっていう思いでやっているので、もちろん無料です。(このためだけにラインの公式アカウントをつくりました。笑)
ただ、派遣会社側の事情としてコストを抑えた経営をされているからこそ、営業マンの数も少なく、対応できる人数にも限りがあります。
そこでぼくが会社の状況を見つつ、営業マンの方が対応できるタイミングでのみ、募集を案内することにしました。
下の青文字をタップして画面が変わらなかったら、定員オーバーしちゃってるので、すみませんが諦めてください…▼
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ちなみに登録いただいた方には、
- 派遣会社の具体名
- 通常の派遣会社との違い
- なぜその派遣会社はエンジニアに業界最高レベルの報酬を支払えるのか
といった理由に関してもLINE内で解説していきます。
まずは会社のことをよく知ってもらうことで、ミスマッチングを防げると思うので。
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ぼくは、転職によって人生を大きく好転させることができました。
ブラック企業からスタートしたキャリアも、今では「あの時があったから、今の生活があるんだな」と素直に思えます。
「世界を変えよう」とか大それたことは思っていませんが、転職を通じて、自分の人生を自分で幸せにできる人が増えるといいなと思います。
あなたが幸せになることが、あなたの半径2mの人を幸せにするための第一歩です。
下の青文字をタップして画面が変わらなかったら、もう募集終了してるので、すみませんが諦めてください…▼